2011年12月07日
釣れない釣り
皆様こんばんは。
年末の雰囲気が色濃くなり、街にはイルミネーションが光ってますね!
一日一回はクリスマスソングを聴いてしまいます。
さてさて、ある方からの質問が頭ん中をグルグルと駆け巡っていたので、なんとなしに書いてみる。
「釣れないのになんで釣りしてるんですか?」
大きなお世話っちゃそうなんだが、はて?何故に釣りをするのか?
それはこのブログのみならず、親しい友人達のブログを良く読んで欲しいと切に願う。
その質問に対して答えるならば・・・・・
今すぐルアーフィッシングを止めるべき。
日本に古くから伝わる伝統的な釣方。
マブナ釣りから磯でのイシダイ、コイの吸い込み仕掛けやオイカワ釣りのオランダ仕掛け。
はたまたキスの投げ釣りからダンゴしかけに、チヌの前打ち、夏にはスズキをエビで狙う。
多種多様な魚種に対して様々な「仕掛け」が存在する日本の釣り。
単純に魚が釣りたいのならば、それらの仕掛けを使うべき。
更にはその仕掛けに趣が無いか?と言えば季節を考慮したり、餌箱に拘ったりとコレが中々良い物だ。
番長も日本の釣りで好きなのは何?と聞かれれば「たなご」と「小鮒釣り」と答えるだろう。
いずれも「しもり浮き」と言う小さな浮きを数個ほど道糸につけ、糸の動きで魚からの情報をキャッチすると言う
予測が可能な釣方だ。
浮きの大きさや形で水の変化を捉え、魚の口まで餌を運ぶ。
撒き餌はせずにポイントで誘いも必要になる、非常にテクニカルな釣り方の一つ。
そんな釣り方が好きだ。
話が逸れてしまったが、もしも単純に「魚を釣ろう」と思ったら、いかにテクニカルとは言え日本古来の釣方に
ルアーなどと言う疑似餌が敵う筈も無し。
例外はある。
海での釣り、シイラ釣りやブルーランナーなどは時として餌釣りを遥かに凌駕する程だ。
稀はあるにせよ、より「高確率」な物へとシフトするのは至極当然の事。
そうなると疑問が浮かびますね?考えてみて下さい。
様々な魚の居住区域に、餌なりルアーなりを送り込もうとすれば、針先まで一直線のルアーに分があるとは思えない。
ミノーなど、あまりに深い所だと姿勢を保つ事すらままならない。
仮に天秤仕掛けにミノーを付けたらどうだろう?(昔ありましたね)
水平に姿勢を保たれたミノーはしっかりと泳ぐでしょう。
最近は巷で馬鹿げた「仕掛け」が流行って?いるようですが、あれも考え方によっては「正当な進化」と捉えても良いでしょう。
そもそもがルアーのみの潜在能力で一匹の魚に辿り就こうって事は、アイデア的には限界点に近いはず。
だが百年の時を経ても、未だに根本的な事は何も変わっていない「ルアーフィッシング」と言う遊び。
様々な釣る為の仕掛けが登場してもおかしく無い時期。
だが、そのシンプルが故に自分の考えが反映出来る遊びであり、この世界に「絶対」など有り合えない。
矛盾・・・・・そこあ楽しい遊び。
何度も書きますが「釣る」のが目的なのは一緒です。
ただ、僕らには釣るためのプロセスが大事なのです。
例えばシーバスのウェーディングゲーム。
腰近くまで浸かって投げて、スローでリールを巻く。
「効率的」に考えたら、水面近くにセットされたスピニングリールより上向きのベイトが使い易いのでは?
ただ巻き・・・・投げた後の巻きで殆ど仕事をしていないロッドにそこまで「性能」が必要なのか?
そう考えてしまうと僕らの使っている道具の価値など無いに等しい。
ハンドルやネジ一本に拘り、楽しんでもルールに抵触しない。
自分の持つべき道具に造形美を求める。
大きな魚の形をしたプラスチックの塊。
これで釣れたら楽しいな・・・・と思えるのである。
ゴム製品に造形美など無い。
それが僕らの癖である。
そうやって釣れるまでを楽しむのだ。
そう・・・「その前後」が必要なのであって、その前後の長さが少々長いのが僕らの釣り。
釣り人にとっての「その前後」とは・・・・魚が掛かる前の段階、キャスト、リーリング、そしてリリースまで。
僕らはどうか?
準備もちろん妄想、帰りの飯の心配や温泉が満杯じゃないかどうか?
ほら、普通の人より少々長いだけなのである。
僕らは今週末に釣りをします。
釣り好きな仲間が集まって肉を喰らう。
これも僕らの立派な釣りなのだ。
年末の雰囲気が色濃くなり、街にはイルミネーションが光ってますね!
一日一回はクリスマスソングを聴いてしまいます。
さてさて、ある方からの質問が頭ん中をグルグルと駆け巡っていたので、なんとなしに書いてみる。
「釣れないのになんで釣りしてるんですか?」
大きなお世話っちゃそうなんだが、はて?何故に釣りをするのか?
それはこのブログのみならず、親しい友人達のブログを良く読んで欲しいと切に願う。
その質問に対して答えるならば・・・・・
今すぐルアーフィッシングを止めるべき。
日本に古くから伝わる伝統的な釣方。
マブナ釣りから磯でのイシダイ、コイの吸い込み仕掛けやオイカワ釣りのオランダ仕掛け。
はたまたキスの投げ釣りからダンゴしかけに、チヌの前打ち、夏にはスズキをエビで狙う。
多種多様な魚種に対して様々な「仕掛け」が存在する日本の釣り。
単純に魚が釣りたいのならば、それらの仕掛けを使うべき。
更にはその仕掛けに趣が無いか?と言えば季節を考慮したり、餌箱に拘ったりとコレが中々良い物だ。
番長も日本の釣りで好きなのは何?と聞かれれば「たなご」と「小鮒釣り」と答えるだろう。
いずれも「しもり浮き」と言う小さな浮きを数個ほど道糸につけ、糸の動きで魚からの情報をキャッチすると言う
予測が可能な釣方だ。
浮きの大きさや形で水の変化を捉え、魚の口まで餌を運ぶ。
撒き餌はせずにポイントで誘いも必要になる、非常にテクニカルな釣り方の一つ。
そんな釣り方が好きだ。
話が逸れてしまったが、もしも単純に「魚を釣ろう」と思ったら、いかにテクニカルとは言え日本古来の釣方に
ルアーなどと言う疑似餌が敵う筈も無し。
例外はある。
海での釣り、シイラ釣りやブルーランナーなどは時として餌釣りを遥かに凌駕する程だ。
稀はあるにせよ、より「高確率」な物へとシフトするのは至極当然の事。
そうなると疑問が浮かびますね?考えてみて下さい。
様々な魚の居住区域に、餌なりルアーなりを送り込もうとすれば、針先まで一直線のルアーに分があるとは思えない。
ミノーなど、あまりに深い所だと姿勢を保つ事すらままならない。
仮に天秤仕掛けにミノーを付けたらどうだろう?(昔ありましたね)
水平に姿勢を保たれたミノーはしっかりと泳ぐでしょう。
最近は巷で馬鹿げた「仕掛け」が流行って?いるようですが、あれも考え方によっては「正当な進化」と捉えても良いでしょう。
そもそもがルアーのみの潜在能力で一匹の魚に辿り就こうって事は、アイデア的には限界点に近いはず。
だが百年の時を経ても、未だに根本的な事は何も変わっていない「ルアーフィッシング」と言う遊び。
様々な釣る為の仕掛けが登場してもおかしく無い時期。
だが、そのシンプルが故に自分の考えが反映出来る遊びであり、この世界に「絶対」など有り合えない。
矛盾・・・・・そこあ楽しい遊び。
何度も書きますが「釣る」のが目的なのは一緒です。
ただ、僕らには釣るためのプロセスが大事なのです。
例えばシーバスのウェーディングゲーム。
腰近くまで浸かって投げて、スローでリールを巻く。
「効率的」に考えたら、水面近くにセットされたスピニングリールより上向きのベイトが使い易いのでは?
ただ巻き・・・・投げた後の巻きで殆ど仕事をしていないロッドにそこまで「性能」が必要なのか?
そう考えてしまうと僕らの使っている道具の価値など無いに等しい。
ハンドルやネジ一本に拘り、楽しんでもルールに抵触しない。
自分の持つべき道具に造形美を求める。
大きな魚の形をしたプラスチックの塊。
これで釣れたら楽しいな・・・・と思えるのである。
ゴム製品に造形美など無い。
それが僕らの癖である。
そうやって釣れるまでを楽しむのだ。
そう・・・「その前後」が必要なのであって、その前後の長さが少々長いのが僕らの釣り。
釣り人にとっての「その前後」とは・・・・魚が掛かる前の段階、キャスト、リーリング、そしてリリースまで。
僕らはどうか?
準備もちろん妄想、帰りの飯の心配や温泉が満杯じゃないかどうか?
ほら、普通の人より少々長いだけなのである。
僕らは今週末に釣りをします。
釣り好きな仲間が集まって肉を喰らう。
これも僕らの立派な釣りなのだ。
Posted by 番長 at 20:52
│雑記帳